016 Villagers of Ioannina City - Age of Aquarius
Villagers of Ioannina Cityというギリシャのバンドによる『Age of Aquarius』というアルバム。
Villagers of Ioannina City - Age of Aquarius (Full Album)
これは凄い。
All them witchesばかり聞いてたらYouTubeがお勧めしてくれたのだが、これは凄い。
ボーカルはSoundgardenの故クリス・コーネル(程キーは高くないが)ばりに雰囲気があり、スケールの大きい曲が続く。これは凄い。
ストーナーとして聞くと少し上品すぎるけど、余裕と貫禄を感じるダウナーなロックとして色々と絶妙。
全員、終始センスのいい演奏をしていて、たまに入ってくるバグパイプやディジュがまたいい。これはすg
どの曲もミニマルなんで、ダメな人はダメだろうけど、冒頭が気に入った人はアルバム通してどハマりできるのではないだろうか。
このブログ、開始早々に食傷気味で放置してたのを、慌てて書きなぐりたくなった。これはs
先程知って、もうこのアルバム三回し目の終盤。
何度でも言おう。これは凄い。
Villagers of Ioannina City。
015 Vision of disorderについて。
Vision Of Disorder - Choke, Element and Imprint (Live)
ここまでリアルに負のエネルギー(特に怒り)が真っ直ぐ刺さるバンドはいない。
↑は、活動再開してからのライブDVD(2006年)の冒頭で、それぞれ1stEP「Still」、1stアルバム「Vision of disorder」、2ndアルバム「Imprint」からの代表曲。
曲自体は全部90年代後半のものなんだけど、今でも有無を言わさぬかっこよさ。
怒りと絶望が喉に焼き付いているようなボーカル、展開やテンポチェンジによる混沌が渦を巻く音像、そしてこの強靭なエナジー。
間違いなく、当時ニュースクールハードコアと呼ばれていたシーンにおける、90年代後半を代表する孤高のバンドと言える。
1stアルバムまでは、まだ型にハマりつつも、その中で飛びぬけたセンスを発揮してた感じなんだけど、衝動に任せて短期間で作ったという2ndアルバム「Imprint」は、冒頭からほんとに凄まじかった。
1stアルバムが割とすっきりとしたミックスだった事の反動らしいが、それぞれ暴発してる音を何とかギリギリ纏めたような、まるで地鳴りのようなデイヴ・サーディーによる圧殺不可避ミックス(エクストリームなロックのミックスをやっているエンジニアに是非一度は聞いてもらいたい)に、
ティム(ボーカル)の振り幅の大きい不安定さがそのまま音に変換されたようで、もうこの一曲だけで、狭義的な意味でのハードコアだのメタルだのっていう一つのジャンルに収まってる音ではない。
一番、怒りと憎しみのエネルギーに満ちた一枚だ。これが延々とラストまで続くのだから。
当時19歳だった私にとって、この衝撃は大きかった。
このアルバムのおかげで、直後に突如現れて世の中的には全てを掻っ攫っていったSlipknotという嵐は大して喰らわなかった。Wait and bleedは好きだけど。
(VODのリアルガチ路線から比べるとエンタメナイズされ過ぎてたし、それ以前にデスメタルが好きで通過後だったせいもあって、そこまで音楽的にも斬新さを感じなかったのも大きいが)
彼等のパッションとエナジーが沸騰し、己に刃を突き立て、それを受け流さず跳ね返し続けていた軌跡の頂点が2ndなら、
3rdの「From Bliss To Devastation」(再録多数の「For The Bleeders」は2.5rdという認識)は、
張り詰め過ぎて意識が飛んだ瞬間にその刃が突き刺さり、己の中の巨大な闇を知り、その真っ暗な空間に放り出されたような感じ。
1stEP収録の代表曲(だらけやな)D.T.Oからの一節
「I'll never give up my pride
And I'll never surrender my hate」
これを実直に貫き通し続け、湧き続ける憎しみに抗い、眉間に皺をよせ続けたのが2ndまでで、
3rdでは、その憎しみや、憎しみに屈してしまう事の人間らしさを受け入れ、口元だけ微笑んだようにも感じる。
正に だって人間だもの。の境地。
中でも↓の二曲あたりが、3rdで一番広がった部分。
それまでの雰囲気の曲がないわけじゃないし、しかしながらアルバムタイトルとジャケやサウンド、歌詞が示した世界観(タイトル曲も凄くいい)が、これまでにない浮遊感を伴って、当時21歳だった私の中にどこまでも浸透してきたのである。
それまでの激しさとは違った意味で、より闇が深く、且つ音楽的に自由な一枚で、表現力が開花し、それまでバキバキだったグルーヴも、まるでティム以外全員メンバーチェンジしたかのように、後ノリの円を描きだした。
相当、賛否はあったと思う。特に従来からの「ハードコアバンドとしてのVOD」のファンからは。
私としては、結果的に、一番聞いたアルバムとなった。
残念なのが、再結成以降のセットリストに、この3rdからの曲が入ってない(ほぼ?全く?)っぽい事。
異質過ぎて並べられないなら、別名義でこの路線もやってくれないか?と思う。それくらい、3rdの音楽性は高いし、無かった事にしてしまうのはあまりに勿体ない。
話しは2ndに戻るが、思い返せば3rdへの予兆はあった。各曲の部分的に、そしてラストのJada bloomだ。
超名曲。壮絶すぎるアルバムの最後にこれはズルい。
…そして、この美しい終わりの余韻に浸る間もなく突然「ぱるるぱんぱん~」とふざけた気の抜けた歌で空気ぶち壊してくれた日本版ボーナストラックの「Soul craft」(Bad brainsのカバー)はとても罪深い(いいカバーだけど!)んだけど、
ゴリッゴリのハードコアシーンから出てきたVODがカバーしてたのがミクスチャーのパイオニアっていうのも、何とも感慨深いものがあるし、良い意味でジャンルに捉われない価値観の持主たちだからこそ3rdも生まれた…というところにも繋がる。
まぁ何せ名曲の多いバンドなので、どこか刺さった方は、要検索で。
動画紹介した以外の曲だと、1stEPからはD.T.O、1stアルバムからはSuffer、2ndからはColor blindとかBy the river(Panteraのフィルが客演!絶叫合戦と、フィル独特の低音語りが不穏で展開もかっこいい)、
3rdからは冒頭曲Living to dieとかタイトル曲のFrom Bliss To Devastationとかが、特に個人的なオススメ。
(勿論Southboundもいいが、PVは曲の大切な流れを損なってて良さが台無しになってるので、是非フルコーラスで聴けるものを探して頂きたい)
ってか、3rdより前のオススメはは2006年の「Dead in NY」でほぼ済みますね。
Vision Of Disorder 01 Live In New York
013 Caravan Palaceについて。
先程のロマミュージックの記事の流れから、その音楽的要素を持つフランスのバンド、Caravan Palaceを紹介したい。
曲も勿論だが、このインド映画みたいなノリ、最高!
このバンドは、元々無声のポルノ映画のサントラを作る仕事をしていたバイオリンとギターとベースの三人が始めたバンドとの事。
で、本格的に活動しよう!とメンバーを集め、スウィングジャズとエレクトロを融合させたジャンルの第一人者であり、その中でもマヌーシュジャズ(ロマミュージックを取り入れたジャズ)の色が特徴的でした。
今日現在まで4枚のスタジオアルバムを出してて、初期のものほどマヌーシュっぽさが濃く、個人的な好みは初期。
でね、このバンド、ベースがかっこいいんすよ。
アップライトでジャジーに弾いてたかと思えば、ブリッブリの矩形波シンセでエレクトる。
一番好きな10年前のライブから、その頃の大好きな三曲を続けてどうぞ☆(っていう投げっ放しスタイル)
Caravan Palace - Je M'amuse live
012 ロマミュージックについて。
先ず何より、好きになったきっかけの曲を紹介したい。
この、喜怒哀楽が全て詰まったパワフルさに圧倒されたし、ロマが辿ったであろう歴史と感情が、強烈に音に乗っている。
祖国を持たない彼等は、一説には北インドから放浪を続けて、15世紀には東欧からヨーロッパ全土へと散らばったという。
馴染みのある音楽的な事で言えば、スペインのフラメンコがその流れを汲み、ブラームスがロマミュージックに影響を受けて書かれたのが、かのハンガリー舞曲(第5番は誰でも一度は聞いた事があるだろう)だ。
各地を転々としながら、音楽や占い、あるいは盗み等で生計を立てるしかなかった彼らは、あちこちでの出来事を歌い伝えるメディアでもあった為に、治安維持のもとに弾圧を受けた。
自国民にとって不都合な情報を流布されると、絶対王政の統治下では致命傷にもなりうる場合があるからだ。
(北朝鮮の国民に、いわゆる先進国での暮らしぶりを広く知らしめたら金政権への不満が高まるだろうってのと同じ)
時代が進み、その演奏の腕前を買われて軍楽隊として取り立てられ、その経験者が今、強固なジプシーブラスの土台を支えていたりする。
…し、楽器の出来ぬものは真っ先に最前線に放り込まれた事も容易に想像がつく。
体が健康な社会的弱者の扱いなんて、時代や国が変わっても、そんなものだ。fxxk。
だが彼等は、時に虐げられ、人殺しの道具にされ、その戦意高揚に利用され、それでも誇りは少しも失われていない。
彼等の音楽を聴けば、誰だってそれが解るだろう。明らかにたくましいから。
冒頭に紹介したMahala Rai Bandaというバンドは、元ルーマニア軍楽隊の老齢なブラス隊と若手が融合したハイブリッドで、
その若手メンバーのうち三人は、Taraf De Haidouks(直訳で義賊の楽団。心意気!)のバイオリンの故nicolae neacșuの甥なんだとか。
そのタラフは、ブラスはいないが、よりコアで、ロマミュージックを世に知らしめた、ジョニー・デップをもハマらせたレジェンド。
Taraf De Haidouks - Rustem si suite
↑のサムネのAnghel Gheorgheさん、役者やっても上手い。
Le concert - Le gitan (French Movie)
突然のパガニーニにやられるよね、これは。最初のロマ風の演奏と弾き方による音色の違いがよく解ると思う。
そして最後に、ブラスメイン(こちらは元トルコ軍楽隊)のKočani orkestarの名曲を。
これ、なーんか励まされるんだよなぁ。
盛りだくさんの最後に、おまけ。
011 土星の環とスーフィズム。
土星探査機カッサーニが撮った膨大な写真を動画化した、そのあまりにも綺麗な映像に鳥肌が立った。
4K Saturn Cassini Photographic Animation (updated)
Samuel Barberの「弦楽のためのアダージョ」が、神秘的な美しさに香りを添えている。
ふと、部屋で、まだ聴いてない中古CD群の中から、ロマミュージックのリミックスものを見付けた。
買った時には気付かなかったが、参加してるリミックス陣の中に、Mercan Dedeの名を見付けた。
彼はトルコのネイ(葦笛)奏者兼DJで、スーフィズム(イスラム神秘主義)の伝統音楽と現代音楽の橋渡し役。
スーフィズムは、全ての天体、この星における水、体内の血…すべて回って循環している事に思想の根幹があり、セマと呼ばれる、クルクルと回り続ける踊りが特徴的。
Fransa'da Türk Mevsimi - Mercan Dede (Açılış Konseri)
彼の音楽には、よくディジュリドゥ(アボリジニの伝統楽器で、世界最古の管楽器)の音が使われていて、
音色だけでなく、その独特な循環呼吸という奏法や、吹き続けてると得られる瞑想感にもシンパシーがあって使っている気がする。
音楽におけるグルーヴとは、リズムという出発点から描かれる円の軌道の違いと、その軌道の道中でのスピードの変動から成っている。
一周の円を描くペンの動きやスピードが一定なものだけではないのだ。
吸い上げられたまま還ってこない税金、はぐらかしの国会審議、その他滞ってる全て、様々な要因で自分自身に打ちのめされる日々の中、
偶然にも、土星の環からのスーフィズム、そして自分の音楽観が繋がった。
たとえ誰にも伝わらなかろうと、これは間違いなく、私が私であるが故の導き。
どれも偶然であり、必然だろう。
010 Kílaについて。
Kílaは、彼等の地元アイルランドの伝統音楽を土台に、世界中の音楽を食い散らかしたモンスターバンド。
中でも、2003年発売のLuna parkというアルバムは、他のアルバムと比べて、彼らの持つプログレッシブな側面とスケール感を限界まで引き出した一枚だと思う。
何せ、アルバム冒頭から↓この熱量、力作。ボーカルがいい味。
Kíla - Glanfaidh Mé [Audio Stream]
途中から雰囲気激変する↓この曲もいい。
Kíla - Grand Hotel [Audio Stream]
紹介したい曲に迷いまくって数日経つくらい良い曲が多く、とにかくパワフルで踊れて、アイルランドの若者の間ではエンヤより人気があると聞いた事があって、それも頷ける話だ。
そしてこの次の2007年発売のGamblers' balletというアルバムでは、少し削ぎ落して洗練された仕上がりになってて、そっちも好き。
↓なんて、ジョー・クラウゼルあたりに刺さっていてもおかしくない。
Kíla - Electric Landlady [Audio Stream]
アイリッシュも、黒人やロマと同様に、侵略や差別によって被害を被った民族であり、そういった人々が奏でる音楽は総じてパワフルだ。
今でも、シリア難民やウイグルやチベット等々、そういった人たちの文化にも、今後、強烈なものが出てくると思われるし、知らないだけで既に在るんだろうな、と思っている。
日本なら蝦夷、アイヌや琉球がそうであり、在日や部落問題もそうだし、人種や社会的階級に限らず、障がい者や新型コロナ感染者への差別だって同様だ。
何だ?自粛警察って。
勿論、そのカウンターでヘイトや暴力を用いるのも同様。
誰かを傷付けていい事の理由に「正義」を用いる愚かさは十字軍もイスラム国も変わらないし、そもそも差別なんて下衆な事がどんな理由であれ罷り通ってはいけない。
アイリッシュダンスもカポエイラも、隠れキリシタンだって、差別的な支配者層の監視の目をかいくぐって紡がれた文化だ。
スターリンの弾劾に屈せず信念を隠して描き続けたロシアアヴァンの「二枚舌」、911の翌日から何故か全米のFMラジオ局で放送禁止になったレイジアゲインストザマシーンの全曲(ジョン・レノンのイマジンも)、江戸時代に一揆に繋がりかねないと禁止された事もある阿波おどり等々。
苦境からの反骨精神に溢れた音楽や文化が大好き。
個人的に、社会から異端と弾かれた人間として、それらは全て応援歌であり、闘争心が芽生える。
私の両親が東北出身で、岩手の父方の家系は、父親含めて一様に蝦夷の血を色濃く引いてるとしか思えない縄文顔で、
母親の出身地は、伊達政宗(個人的に一番好きな戦国武将でもありますが)に攻められた時、民が集って大きな松明を掲げて城主に徹底抗戦を焚き付けた歴史があって、
そういった血を半分ずつ受け継いだ人間として、本能的で、当たり前のシンパシーなのかもしれません。
話しが膨らみすぎましたが、Gamblers' balletからさかのぼる事一年半前には、このアイルランドのKílaと、Oki Dub Ainu BandのOkiさん(ご自身がアイヌで、伝統楽器トンコリを復活させた)が
Kíla&Okiという名義でアルバムを出してるんですが、詳しい経緯は知りませんが、決して音楽的な事だけの共鳴ではないと確信してます。
Kíla & Oki - Topattumi [Audio Stream]
「我々の魂は、決して流れ去る水のように消え去ってしまうことはないのです」
009 SUKHNA - ROVO(LIVE at 京大西部講堂 2004)
ROVO / SUKHNA(LIVE at 京大西部講堂 2004)
3×4も4×3も12であるという事を、演奏だけで表している曲。
曲全体を通して言えば12/8。8分音符が12個で1小節。
前半は
〇××〇××〇××〇××というアクセント。
それが後半に
〇×××〇×××〇×××になる。
しかも、芳垣さん(右ドラム)が前半のビートで残る中(6:54)、岡部さん(左ドラム)が後半のビートで入ってきて(7:11)、3×4と4×3が同時に鳴り、
スパン!と全体が4×3のエイトビートに移行して、スピード感がグッと増す。
こんな面白いギミックがある曲なのに、以前は何故かモノラルで上げられていた。
ひねくれ者のリズム馬鹿としては、前半から4×3で通して乗ってみたり、あるいは3×4で最後まで通してみたり、
前半を4×3、後半を3×4と逆にして乗ってみたり、色んな遊び方が出来る曲。
ライブのVJさん(迫田悠さんが好きだった)は、よくこの曲で三角錐(ピラミッド)の映像を流してました。
バンドとして一番脂が乗ってる時期のライブです。
そして、このSUKHNAが収録されてるスタジオアルバム「FLAGE」がまた、とんでもないアルバムで、
アルバム各曲の平均点では近いレベル、あるいは上の物もあるんだけど、とにかく神曲が目白押し。
人生を変えるほどの衝撃を受けたアルバムは何枚かあるが、これは確実にそのうちの一枚。
その冒頭を飾るこのCanvas、前半は打楽器類がごっちゃりしてるんですが、5:50過ぎくらいからの、二人のドラムがたまらない。
ずーっと踊っていられる。
ある友達が、確かこの曲のライブ音源を聞きながら「まだ行くのか!」「まだ行くのか!」を連呼し、
最後には「展開っていらないんだな」と言った事が忘れられません。
(展開しまくるプログレも好きですけどね!)
スタジオアルバムだとImago、Pyramid、Flage、Mon、時代飛んでRavo、
ライブ盤だと2003年の二枚組at日比谷野音ワンマン(2004年の野音DVDもいい)、記事冒頭の2004年京大西部講堂あたりが鉄板。
ロックじゃなくたって、このテンション、この破壊力。
芳垣&岡部両氏のツインドラムは、それだけで丼メシ無限にいけるやつ。